夜寝るときはタイマーをセットして落語を聴いている。
中学生の頃、鉱石ラジオでイヤフォンを通して良く落語を聴いていた、当時の落語家の名前は覚えていないが演目は、時そば、居酒屋、目黒のさんま、長屋の花見、将棋の殿様、禁酒番屋、ちりとてちん、笠碁、饅頭こわい・・・
もう一つ、何人か物真似する芸人がいたが印象深いのは桜井長一郎で、政治家、スター、オリンピックの短波回線中継は混信でピーピーギャーギャーしフェーディングも入っている、なまなましい実況はこの人だけだった。
因みに、短波回線中継で私の記憶にあるのは1952年7月ヘルシンキオリンピック、1956年6月メルボルンオリンピック、1960年ローマオリンピック、でメルボルンオリンピックとローマオリンピックは短波受信機を作り直に聞いた記憶があるその頃はロマンがあった。
春風亭柳昇(いろいろなところで書かれているがあえて)の紹介
春風亭柳昇の演目は沢山あるが繰返し楽しんでいるのはカラオケ病院、雑俳、日照権・・・すぐに寝てしまうせいか、何回聞いても飽きない、つい最近『与太郎戦記』を追加した。
「えーわたくしは、春風亭柳昇と申しまして、大きなことを言うようですが、今や春風亭柳昇と言えば、我が国では・・・、わたし一人でございます・・・まぁこんなことを長年言ってて飽きちゃいまして・・・なんか良いのがありましたらよろしくお願いいたしますが」から始まる、ばかばかしいが面白い。
◎雑俳
・・・まあ私は競馬、競輪、マージャン、釣り何にもやりませんで、まあ好きなのは短歌ですね、一回乗ったことがありますが・・・あまりよくないですね、俳句も・・・
◎カラオケ病院
・・・私も病院のお世話になった24-5の頃 戦争に参りまして 貨物船の警備兵で 船に乗っておるとき アメリカの飛行機と撃合いまして 飛行機が落っこちないで あたしが当たっちゃって 1年半位病院のお世話になりましたが それから まぁお陰様で丈夫で・・・
患者が自分の病気のを『北国の春』『星影のワルツ』『スバル』『夫婦心中』『お久しぶりね』などのヒット曲の替え歌で医者に説明する・・・音程リズム感は優れている・・・音楽的才能があると思った。
この二の演目で何時も気に掛かるのが、・・・担架ですね、一回乗ったことがありますが、とか、・・・戦争に参りまして、1年半位病院のお世話になりました、の箇所。
加えて相当まえトロンボーンを吹いているのをテレビで見たような、それで音楽の才能もある、替え歌も上手いんだなあと思った、あと、師匠を映画の俳優?として出ているのも見たような気がするが全く内容は記憶が無い。
最近新聞を見ていたら、「春風亭柳昇といえば DVD 全5枚セット」で少々高いが近く発売されることが出ていた。
そこで五代目春風亭柳昇をざっと調べてみよう。
春風亭柳昇は 1920年(大正9年)東京(現在の武蔵野市)で生まれた。尋常高等小学校中退後、1933年(昭和8年)昭和初期は多摩地域工業化で発展していた、中の横河電機に就職、会社には青年学校、ブラスバンドでトロンボーン、町にも夜間青年学校があり全てに参加、1940年(昭和15年)徴兵、5年間の軍隊生活を送るが、1945年(昭和20年)、貨物船で、アメリカ軍の空襲を受け手を負傷、元の会社に復職しようとするが負傷のため実現せず、戦友の父親だった6代目春風亭柳橋(時そば(刻そば)は大好き)に入門、手の負傷によりしぐさの多い古典落語には向かないと考え、自らの新作落語に絞り活躍・成功した。1958(年昭和33年)真打昇進。
ここで私との接点を見つけた、それは1960年(昭和35年)代初め学校の実習実験で測定器は横河電機(YEW)の精密な計測器、目盛り版に鏡がある電流計、電圧計、ホイートストンブリッジ等を使っていたことを思い出した。
「陸軍落語兵」に・・・実は、横河電機という会社に少年工として入社し、記録計というメーターをつくっていたのだ。
という記述がある。
1933年(昭和8年)から徴兵までの7年間、計測器の製作に携わっていたが私が使ったのずーっとあとの1960年(昭和35年)なので師匠が作ったのは使っていないのが正しい。
師匠は1940(年昭和15年)徴兵、元の会社に復職できなかった、所属部署は不明だが、師匠が携わった製品は使っていないと思う。
映画については著書に与太郎戦記というのがあり、自身の落語でもあった、これがまた大変面白いフィクションではなく、面白く語っているが、壮絶な実戦争体験者の貴重な話だ、その裏には悲しい体験が沢山隠れていると容易に分かる。
いわゆる語り部の人たちも、聞く人の立場も考慮すると人の心に深く浸透するのではないかな。
師匠は各方面で活躍、「日本会議」でも2002年(平成14年)11月メッセージを出していた全く知らなかった、的を射たメッセージ、世の中は残念ながら変化なし、多分大勢の人は知らないだろう。
春風亭柳昇日本演芸家連合会会長
師匠は国会図書館にも沢山登録されている。
なお、物真似の桜井長一郎も軍隊経験しているが演目での紹介はなかったのではないかと思う。
こう振返って見ると改めて五代目春風亭柳昇は偉大な人物だたんだなあと感心したもっともっと活躍の場があっただろうにと感じた。
おそまつさまでございました