マリンパック 夏の夜のコンサート 親父 危険な運転 オーストラリア パースの旅

マリンパック、夏の夜のコンサート、親父、危険な運転、オーストラリア パースの旅(1997/03/08~07/28/2008)

07/28/2008[ソニー製カメラ マリンパックのシャッター押しボタン]
スノーケリングを始め何年か経つが、海の中を眺めていると大変きれいで自分でも写真を撮ってみたくなる、そこで手持ちのカメラ ソニーDSC-T9(SONY DSC-T9)に合ったマリンパックMPK-THCを購入、スキューバではないのでそんなに深くは潜れないせいぜい5m前後だがついでにフィルターも購入してしまった、合計するとデジカメが買える位のお値段となった。 早速使ってみたがどうもシャッターを押すときにいわゆる半押しなのか完全に押したのか良く判らないのでいつも強く押している、結果は何とか撮れている、しかしどうも気になるので良く内部を見ると写真の様にマリンパックのシャッター押しボタンがカメラのシャッターボタンの真上に位置していないシャッターボタンの幅の半分、長さの1/3、言ってみれば1/6部分を押してるだけだ、なんだよこれっと思い早速電話で問い合わせた。

少し待ってくれ、といわれその後、設計に聞いてみるので明日電話するとのこと、電話は来たが予想通り問題はありません、それではあんたはこんな状態でも使うか?、多分使います、ソニーの製品全てそのような設計か、わかりません、どのような原理で1/6しか押さなくてもOKなのか、公開できませんちゃんと検査していますので大丈夫です、このような状態でもOKであるなら取説に書きなさいよ、すみません、あんたではお話にならないので上司をだしてくれさらに私の全ての録音を設計部門に通知してくれ、判りました少々お待ちください、・・・と延々と終わらない、上司が出てきたがこれも終わらないのでしょうがない、文書を送ってくれ判りました。ここで終わりとなったがどのメーカーも同じだとは思うが相手の答えは全てネガティブで前進がない。

私が製品保証だったらこんないいかげんな設計は許さないし会社として恥ずかしいとは思わないのかねー、コールセンターは言い訳のマニュアル作りには熱心だが会社内部とは隔離されているようだ。

MPK-THCにDSC-T9を収納     ソニーからの文書

1998/08/15[コンサート]
團伊玖磨氏

カミサンの実家がある八丈島に行ってきた。ご存知のとうり東京から南へ約280Km今はジェット機で約40分でいってしまう。
以前はYS-11で約1時間すごく便利にたったものだ。
海の透明度は最高である。よくあることだが面白いことに山を挟んで島の反対側では天気が違うことがしばしばある。

今回はたまたま團伊玖磨の夏の夜のコンサートの日に当たった、團伊玖磨氏の仕事場?は樫立てにありワイフの実家のそばである。
以前にも一度、偶然に聞いたことがあり無料で最高レベルのオペラ歌手の歌をきくなんてことは日本では考えられないことなので非常に印象深く、ねらったはいたがなかなか当たらなかった、今年はついていた。

氏の話は大変リラックスして聞ける、話上図である。なんでも師である山田耕作と一緒に八丈島に来て家を建てることにしたが、慎重な山田耕作は團伊玖磨氏にまず、建てさせ台風等の影響がどうでるかを見極めてから建てることにしたらしい。しかしそれを見ること無しに山田耕作は亡くなってしまなった。
さらに、山田耕作の師である滝廉太郎は若くして亡くなってしまったがもし、もっと長生きしていたならば日本の音楽は相当違ったものになっていたに違いない。等興味深い話があった。

今回は、ソプラノには中国の崔岩光、バリトンには島村武男、稲垣俊也、ピアノは久邇之宣で歌はカザフ民謡、青海民謡、赤とんぼ、荒城の月、城ケ島の雨、闘牛士の歌、ラクメの鐘の歌、九十九里浜・・・とたっぷり、アンコールも合わせると15曲になった。会場はいつも野球で結構強い八丈高校の体育館だがその声量は素晴らしい、マイクが無いと歌えない歌手がごろごろいるが、もっと沢山の人がこれらの素晴らしい生の音楽に接し出来るように社会が変化すればいいなーっと心から思う、それにはオペラももっと安く見る聞くことが出来るようになれば自然と日本の文化の向上になるかも・・・文化の日の見直しも必要かも知れない。
来年は30回を記念して盛大に開くとのこと、團伊玖磨氏の健康に留意し活躍を期待している。

崔岩光            島村武男              稲垣俊也

1998/04/22[親父]

少しはここで紹介しましたが、親父はふとしたことで昨年5月に不治の病となり以来病院にて看護してまいりました。そこで少し判ったことなのですが、病院の収入システムは長くいるほど次第に減額されるそうです。次の病院を常に探していなければならないというのは年寄りとその家族にとって相当つらいことです。ついに在宅看護に切替え、丁度一週間となった日に行年83歳で他界してしまいました。その一週間は本人にとっては最高に幸せの日々であったと信じています。私は父から工学の面白さ、物を作る面白さを教えてもらった最初の先生でもありました。親父は昔から強い信念、即ち賢明、勇気、信仰、健康、繁栄を持ちそれの自分なりのシンボルマークを作り自分の所有物によく書いていました。

1997/07/03[親父]
この何ヶ月全くホームページを書くことができませんでした。
5月の末、おふくろからの連絡で親父が突然たおれたので直ぐに来てくれとのこと、行ってみると親父はめまいがして全く立てない状態でした。

直ぐに病院へ電話をかけ状況を説明しましたが、初めは断られ、まず予約をしてくれのくりかえし、何度も状況を説明をしてようやく直ぐに診察してくれる旨了解をとりました。

早速、親父を背負って車に乗せ病院へ、ついたところ看護婦が待っていてくれました。
はじめは内科医が診察してましたがまもなくMRI室へ連れてゆき直ぐに今度はICUへ入ってゆきました。
これにはびっくりしました。
この時点で医師は内科医から脳外科医へとかわりました。
医師の説明では原因は高血圧による小脳出血である旨伝えられました。
今の状態でできることは血圧を下げさらなる出血をおさえることで、手術は年齢を考えるとできない、またさらに、もし良くなっても車椅子になるとのこと。
凄いショックでしたが現実を受けざるを得ませんでした。
また、続きます・・・

1997/04/27[危険な運転]
最近はよく土曜日に近所の屋内プールへ車で行きます。また会社には例の 1400ccのバイクで通っています。
途中、最近よく見掛けますがPHSと呼ばれている電話をかけながら運転しているのです。

これは非常に危険な行為だと思いす。
みかけると、すれ違うときにクラクションを鳴らします。実は馬鹿げたことだとおもいつつ。
しかし、事故例はすでにたくさんあります。何が障害になって規制ができないのでしょうか、不思議でたまりません。
私も無線機をつんで高速道路でも時折交信してますが、マイク、スピーカ送受切り返スイッチは全て別です。
また、続きます・・・

1997/03/08[オーストラリア パースの旅]
昨年暮れに西オーストラリアのパースに行ってきました。

初日はピナクルに特別仕様の4WDで行ってきました。道路の両側にはクリスマスツリーと言う橙色の花がさく木が沢山ありこの時期になると満開になるので地元の人はそう呼んでいます。この辺は自然があふれ大変良い所でした。上の写真はピナクルに行く途中の小さな動物園によった時に突然飛び出しできました。

また、続きます・・・